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母のこと

大正10年(1921年)11月25日に生まれた母。父は洋画家、風刺画家、漫画家の池田永治、生まれたのは現在は台東区の稲荷町、少女時代を過ごしたのは文京区の駒込、四人姉妹+末弟の長女。母親はお姫様のような人だったそうで、爺やに婆や、書生がいて、お手伝いさんは何人もいたそうだ。

母はとても奇麗で聡明な子供だったから、両親や祖母や、周りの大人に大変可愛がられて育ったらしい。いとこたちからきれいなタカさんと呼ばれていた母。96歳で逝ったときも綺麗だった。

美しく、個性豊かな母はいつも私の自慢だった。おばあさんになっても、母は特別だった。だから私は90を越えた母を何度もドイツに連れて行き、友人みんなに自慢した。

母を失ってから、私は愛する人がいない人生がなんとつまらないものか実感している。話をする相手、食事を作る相手、一緒に旅をする相手、世話をする相手がいないことは、なんとむなしいことか。

私はいつまで生きるのだろう。

スケッチブックから 5 1980年代

サークルに入って絵を習っていたころの作品。メンバーが順番にモデルになって練習していたようすがうかがえる。母は人物の全体像を描くことに不慣れだったようで、配置がうまくいっていないが、最後の一枚はかなり上達しているので、やはり画才があった人だと納得させられる。

母の塗り絵 1 2013-2016

ドイツに滞在したとき、細密画のような花の塗り絵を見つけた。花の好きな母は嬉々として作業し、その完成度の高さに周囲を驚かせた。

                   2013年 ミュンヘンで


     左側が見本、右が母が塗ったもの

                  2016年ワイルハイムで

写真 2 結婚前

残念ながら母の家族には写真が得意な人がいなかったらしく(母自身もそうだったが)、結婚前の母の写真はあまりよいものがない。もちろん、戦争という時代の影響はある。

私の手元にある、戦後に撮られた母の若いころの写真は、疎開先(高岡、氷見)でのものと、大阪で働いていたころのものだ。ワンピース姿の母は、頼まれて被写体モデルをしていたと推測する。

結婚前の母と父。

写真 1 結婚式と新婚旅行

母の結婚が遅かったのは、戦争の影響もあっただろうが、 それよりも母は祖父に対しての親愛が深く、同年代の男性への関心がなかったためだと思う。母と父は大阪で知り合った。当時の東京は焼の原で、父は同族会社の大阪支社で働いていて、母は疎開先の高岡から京都に住まいを移し、大阪の料理屋でアルバイトをしていた。職場の同僚と父の一番下の弟である叔父がその料理屋で母を見て、まだ独身だった父に引き合わせたのが出合いだったという。叔父の話では、母はとてもきれいな人だったから、父は一目ぼれだったそうだ。

ファザコンの母は結婚に迷いがなくはなかったようだが、結婚式とその後の新婚旅行での写真を見る限り、やはり父のことが好きになっていたのだと思う。