短歌 1990年 

涼しげな緑の池よカイツブリ

愛らしき少女連れたる父親は花火の袋もちて寝ており

おしろいの花の匂いはなつかしき幼き頃の夕涼みなを

赤リュックかたへに置きて父親は幸せな眼で息子見ており

降りる駅間違へたれば引き返し笑みかはしおる喪服の夫婦

子がおきてゆきたる赤きサンダルをはきて出掛けん自由が丘へ

クーラーの車内を出れば熱帯の真っただ中に飛び出す如し

風呂場にて鈴虫鳴くと子は言ひぬそれらしき音を吾も聞きつつ

松桜梅の木陰に月をみてうたた寝をしぬ雨戸しめずに

チャルメラの音淋しげにきこゆなり夜更けて一人くりやにあれば

蝉しぐれ耳を聾するま昼間を深山にある心もて聞く

眼に汗の入る残暑も洗濯と炊事場洗ひす少しは涼し

ゴキブリは夜のギャングよ殺虫剤つかみたれどもその手動かず

仏壇に朝顔そなへ亡き母の笑顔がふっと重なりてきぬ

静かだなあ夫は云いぬ感こめて娘夫婦の出かけし連休

眼も悪くなれりと云いて出されたる菓子箱のふち小蟻這いおり

手伝はんとすれば拒絶にあふことの多く同居のむつかしさかな

我が旅は始まれるなり妹の形見の黒のカーディガン着て

妹が若き命を捨てんとし見出されたる山崎すぎし

懐かしき父母眠る新しき東太田の墓地訪れぬ

幾たびもつぶれかけたといふホテル豪壮な庭に心奪はれぬ

弟がうたによみたる義母岳父我もまみえて嬉しかりけり

山海の珍味多くていただけぬ分に心を残してじせり

目先なることにとらはれ忘れいしつぐなふべきこと多々ありし我

弟に案内されきし父母の墓前に我は何を誓はん

妹と共に歩きしこともあり新神戸駅今たたんとす

幾度か妹送りきてくれし新神戸駅に我はあるなり

此の駅で別れしことが夢のごと思い出さるる妹のこと

新神戸去るとき哀し妹と別れる如く泪あふれぬ