短歌 1998年 秋

気の強き猫でありしが年老ひて頭撫でさす弱さみすなり

何故あんな可愛い声で啼くのかと病みたる猫はいじらしくてならぬ

今年また狐のカミソリ咲きにけりそばに二匹の猫の墓あり

ゴルフには興味なけれどテレビ見ていればきこへるうぐいすの声

我伏せばいづこともなくやってきてよりそひて伏す猫は死にたり

死んでもい何時死んでもいと云いながら医者通ひするは老人ばかり

病院にわれを見舞ひに来し夫振り返りつつ帰り行くかな

いり豆腐夫に教へどつづまりは冷奴にして食べしと云ひぬ

敬老の日の献立が何となくわびしく思へ小豆飯たく

水虫をうつせし夫水虫がなほりしとみえ少しもかかず

いびきかき眠れる夫のはたにいて眠れぬ吾のもどかしさかな

ロベリアといふ名もやさし青き花スイスの子思い買い求めたり

友人にもらひし傘が美しくささずに時々ひろげて眺む

あまりにも不味きぬかみそ飽き飽きし全部を捨ててさっぱりとしぬ

友呼びて練功をしてあそばんかケイキにすしに何をだそうか

若き日の父をまぶしく想ふとき展覧会の絵の曲流る

父の絵をみて帰りたるうれしさにしどろもどろの電話する我

洗濯を干す間もおしみ吾は聴くナッキンコールは永久の恋人