短歌ほか 2013年

傾きし夫の表札正して入る

建国の記念日なれどその行事何もなくなる不思議かな

ストーブをつけても寒き冬日かな

この寒さ起き出すまでが一仕事

あといくつ寝たらお迎えくるのかな

雪降りてくるかもしれぬ寒さかな

大抵の人は我より若ければ話し相手がなくなりにけり

二階行き暑くて肌着一つ脱ぎ下りれば寒くチョッキ着るなり

副首相みればみるほど頼りなし

子は今は我の親なり我は子に生かされており九十(くそじ)となりて

仏壇もテーブルもみな白い薔薇

アガパンサスつぼみの一つ堅きかな

つわぶきを子と採りにいきし海辺の町に

つゆ草は母愛したる花でありしよ

かのこゆり亡き妹を想ふ名であり

夕暮れに散歩に行きて突然に家近くなりしときの嬉さ

大好きな子規ではあれど老ひぬればめんどうくさくなりにけるかな

来年も使える日記と知りたればふと嬉さのこみあげてきし

あさましや明日の命もわからぬに来年使へる日記とよろこぶ

子のおいてゆきたるバナナ食みながらテレビ見ている朝の始まり

大好きな子規ではあれど老ひぬれば面倒臭くなりにけるかな

つまらないこと思ひ出しクラッカー食べる我であるかな

百人一首置きてゆきたる人の母よくなりませと我は祈れり

オランダの海辺でとりしわが夫の白シャツ姿日々おがむかな

多摩川の土手の桜を見にゆきしこと想ひだす桜の塗り絵

束の間の雨の晴れ間に散歩行きぽつぽつくればあわてて帰りぬ

炊き立ての白がゆあまりにおいしくて残らず食べて苦しくなりぬ

若さとは残酷なりしと思いたり己の過去を振り返るとき

亡き母に母の日カード贈るなり生前の母に贈らざりしに

前髪がかゆくてかけば黒髪が一本なれど落ちて残念

短歌ほか 2012年

飴なめて子の帰り待つ不安かな

肩痛む心も痛む夕べかな

ストーブを消せばぞくぞく寒くなり塩キャラメルを又二つ出す

子は我に缶箱いっぱい飴詰めて出かけて行きぬやさしかりしよ

親は子を子は親憂ふ我が家かな

ちらちらと雪降りてくる父母の命日

子なればこそ老ひたる我を桜見につれ行きたるぞ多摩川の土手

その昔夫と桜を見にゆきし今日子と行きぬ多摩川の土手

弟に風貌似たる大学の教授の話きいてみるなり

わたしの天国あと五日その後わからぬケ・セラ・セラ

歩くことやっと食べることやっとみんなやっとで生きているかな

勢はいい男だが相撲下手

千代の富士いつみてもいい男振り

安美錦昔の美男勝ちにけり

豊真将いい男だが背が足りぬ

よく見れば白鵬の鼻団子鼻

短歌また俳句もひどき日曜日

怒らせた子が出かけたるその後に子のソックスのつくろいをする

黒ずみし大きなる蚊我が右腕にあり(叩き潰して清々した)

何時の間に買ってきたるかさつまいも子のやさしさになみだするかな

子が焼いてくれたるお芋食べて子を待つ

残生を心得違ひて生きたゆえ死期近づきて苦し日々かな

この間生れたばかりし隣家の子お母さんと呼んでいるなり

隣家にトイレの明かりみえるとき我なつかしくうれしかりけり

鳩時計子供直して鳴ることは鳴れど実感と関係なく

短歌ほか 2011年

不忍の池の油絵我が心慰めるなる暑きこの日も

塩塩と哀願したる夫にも枝豆の塩かすかでありき

暑いなと思っていれば庭の木に蝉やかましく鳴き始めけり

まだ生きているぞとばかり痰を吐く

体操は今日一日の予約かな

永の字は愛する父の名の一字新聞歌壇にみればなつかし

生きること至難になりし日々なれど子にさそはれて多摩川散歩

僅かなる我の記憶を試さんとひいてみるなり花の辞典を

岬までドライブしようと夫いいぬ昨日明け方夢にみしかな

我にとりて食器割らぬが一仕事

不安なる思ひ満ちくるときに我牛乳飲めば心やすらぐ

ニュースでは雷雨大雨来ると云ふ夕方帰る子を案じ待つ

明日は何するかわからぬ今朝の我

ひたすらに湯の沸くヤカンみつめけり

短歌 2009年

この平安今日で限りと思ふこと度々ありき辛き我かな

我が運命如何になり行く定めかな天にまかせてご馳走食べる

後ろからこんちはと声かかりけりよかった唾を吐かないときで

便座にて眼つむりているときが一番心休まるときかな

小説は楽しかりしが短歌よみ何かもの足りなくなりぬ

短歌 2007年 秋

隣家の蔦の紅葉が美しき雨戸を閉める夕暮時かな

人住まぬ隣家の庭の暗闇にさざんか一輪灯火のごと

病床の夫に届けし三平汁つたなき味を喜びし君

植えしこと忘れたる頃出でぬベランダ花壇のヒヤシンスかな

鯉泳ぐ池あれば自ず足が向くビルのはざまの会社の庭へ

買いくれしカランコエ咲くベランダや娘の心根のうれしかりけり

展示品なりといえでも子が我に求めてくれしソファー心地よし

短歌 2007年 春

春浅く夕かたまけて家路急ぐ空にもいつか白き月出づ

赤赤と百日紅の咲き満てど髪なぶる風秋運びくる

皇后の笑顔を拝し島民の老いの涙ははふり落ちけり

玉砕の戦友の遺骨幾年も生きて集め来し人卒寿に逝きぬ

枯れし葉に止どまりし蝉の抜け殻は秋雨に打たれ落ちにけるかも

半月はバナナの房のごと見えゐしが脳の手術で焦点定む

大晦日の告別式となりたるも妹気強く挨拶をせり

短歌 2006年 秋

ようやくにつぼみ開きぬアマリリス星の如くに鮮やかに咲く

プランターに球根埋めて忘れたるヒヤシンス咲く三つ四つ五つ

多摩川の土手よりのぞむ雪の富士そのふもとには黒き山々

金雀枝(えにしだ)は往にし妹の軒先に咲いていたりき ただなつかしき

黄の牡丹二輪友よりたわまりて夫の遺影にかざるうれしさ

住む人は絶えて久しき家なれど大紫はこの春も咲く

亡き夫の夢みたりけり明け近く優しく我にほほ笑みしかな

短歌 2006年 春

どくだみの白十字の花庭中を星まきし如うづめつくせり

お隣の柿色づきてたわわなり一段と秋深まりていく

行き止まりの路地と知りつつ入りゆくあぢさゐの花いろいろありて

多摩川の土手できらめく富士山をいつまでもみるうれしかりせば

沈丁花すでに蕾はふくらんで紅さし咲く日も遠からぬなり

友人に出しそびれたる年賀状友より来れば嬉さ倍なり

いづ方へ行きしか氷雨降る夕なかなか帰り来ぬ子を待ちぬ

我が庭に孫が風鈴下げくれぬ涼しき音色チンチリチリン

すれちがひ朝の散歩で挨拶をすればかつての友達なりき

サルビアを亡き祖母好み時季くれば苗買ひに我行かされしかな

イチローの野武士の如き精悍さ新聞切り抜き日記にはれり

アマリリスピンクのふちに薄緑花弁開きぬ星の如くに

久々に電話よこせし友なれどすぐにせき込みもう切るわと切る

杖つけど歩くときには胸張りて正面みすえ歩む我なり

満開の梅に来たれり四十雀ピンクの花に冴えて美し

短歌 2005年 秋

幼き日チンドン屋の後ついて行き「あんた何処の子」きかれて泣きぬ

アイス手に持ちて寫眞がとれざりきモンマルトルの階段の上で

遅くなり御飯はいいと子の電話そのとき震度五の地震の来る

我が庭に孫が風鈴下げくれぬ涼しき音色に心慰む

今のことすぐ忘れ去る悲しさよ日に幾度も新聞を見る

明け近く亡き夫の夢みたり優しき笑みを吾に残して

夢にたつ人やさしかり待つことも待たるることもなき現にて

久びさの友の便りがうれしくて一人声出し読んでみるかな

夕暮れの散歩に出れば一瞬に暗くなりたり立ち往生す

こほろぎが何処かで鳴いてるテレビ消し耳をすませばリリリリリリと

イチローは野武士の如く精悍で新聞切り抜き日記に貼るなり

すれ違い朝の散歩で挨拶をすればかつての友達なりき

切り貼りの障子貼るのによろめきて一つが三つの切り貼りとなる

黄色眼の黒猫我が家の塀を行くかわいらしけり思はず手をふる