短歌 2005年 春

サーカスで序幕の演奏始まればなぜかわからず涙湧くかな

玄関の外で電話の鳴るをききあわててとびこむ 靴はいたまま

いずこから来たか鶯連れ添って我が家の庭でしばし憩いぬ

春雷を遠くにききて夜が明けて梅の花びら一面に散る

我が庭の狭きところに花蘇芳ひとり咲き出し驚きうれし

どくだみの花の白きを美しとおもふ此の頃面白きかな

黄色なる小花一度の咲きはじむようやくわかる蛇苺なり

えにしだは往にし妹の軒先に咲いていたりきただなつかしき

望まれて生まれて来る幸せを幾度父母に感謝するかな

隔てなくしゃべれる友とわかれては一期一会は淋しかりけり

今のことすぐに忘れる悲しさよ日に幾度も新聞を見る

大根の花の紫咲き出して雨降りだせば心のふるさと

咳止めの薬と思ひ買いたりき巣鴨地蔵の市で花梨を

黄の牡丹二輪友よりたまはりて夫の遺影にかざるうれしさ

冬の間は枯れしと思へし薔薇なれど春めきてきてふくらみにけり

出掛け際野菜スープを作りゆく子のやさしさに胸をうつなり

寒いからポタージュスープにすうるわねと心やさしき子の言葉かな

久々の友の便りが懐かしく一人声だし読んでみるかな

子供の日夕方になり柏餅食べたくなりて買いにいくかな

若き日の植物採集でおぼえたる最初の花の名おほいぬのふぐり

短歌 2004年 秋

可憐なる菫に混じり金色の雉蓆(きじむしろ)咲く我が庭の春

隣人が我に残せし赤い木瓜地に枝広げ咲き乱るるよ

愛こもるこの手袋は絶対に落とすまいぞと心に決める

何故にするどき棘で身を守るブウゲンビリヤ美しき紅色

亡くなりし前夜一人でゆあみする夫に声をかけざりしを悔ゆ

「笑点」を見つつ呑みつつ笑いたる夫でありきその顔うかぶ

着脹れし背中かゆくて孫の手をつかえば亡き夫思い出すなり

お彼岸に子の土産なる草団子昔変わらぬ素朴な味す

道筋に風船かずら風にゆれ両手でポンと割ってみたいよ

園児らをサアクル車に乗せ押していく冬空の下頼もし保母さん

送られし白桃あまりおいしくて茂吉の白桃かくあらんかと

薔薇の枝にとまっていたる赤とんぼ我が家を訪れたる使者かな

庭隅にひっそりと咲く石蕗の黄色の花はさびしかりけり

二年半過ぎれど夫の腕時計生きるが如く時刻みけり

短歌 2004年 春

焼き跡に祖母とあかぎをつみにけり想い出の味かすかに残る

莟もつのうぜんかずら折れたればバンドエイドを巻きて咲かせぬ

隣人が兄亡き後はきょうだいで家たてゆかんと挨拶に来る

暗がりにぎっしり並ぶ自転車に人の匂いす夜のマンション

雨戸開け今日も楽しむ野牡丹のきりりと冴えし紫の花

赤き星中秋の月に連れ添いて夜更けの家並み静かに照らす

鬼の如のばしたる爪白く塗りあな恐ろしき女高生かな

木の間より見ゆるコンビニ不夜城の如く闇夜に光り輝く

歌の本開けばすぐに眠くなり冷蔵庫開け取り出すプディング

鈴付けし鍵もち夜の散歩行きソフトクリームなめなめ帰る

台所蟻に占領されしかな見るたびつぶすことに疲れり

子が買いし麻の緑の長暖簾風に吹かれて瓢箪揺らぐ

短歌 2003年 秋

友寄りて来れば我の腕とりて一緒に歩く暖かきかな

日光のホテルの庭を夕食後そぞろ歩めば満天の星

耳遠き我にはあれど大谷(だいや)川せせらぎ聞きつつ眠りに落ちぬ

日光の石の階(きざはし)高く高く子の腕つかみおののき登る

日光のホテルで飲みしこけもものジュースの味は忘れざるかな

冬薔薇の一輪が咲く北風に折れんばかりにゆすぶられて

日だまりに椿一輪色づきぬ花待ち遠し花待ち遠し

団扇もちおどる小さな女の子片足上げる仕草愛らし

いつの間か本降りとなりシクラメンつめたかろうと部屋にとりこむ

黙黙と我の眼鏡をみがきたる夫でありしが今は在らずも

病院でふと眼開ければ我見舞う夫ほほゑみて我を眺むる

草深き庭おとづれし黒猫はやもりみつけてじゃれまろびゐる

台風にうち倒さりしベゴニアは健気に立ちて花咲かせをり

売れ残りなりし里芋買ってきて皮むくときの腹立たしさよ

その身体パチパチ叩き気合入れ取り組む前の意気よき力士

アダモ聴き手を打ち鳴らし部屋中をぐるぐる歩き廻る我かな

近づきし火星なれども天体に興味を持ちし夫は今なし

先生は歩け歩けと云ふけれどひょろりひょろりとこけそうになる

短歌 2003年 春

今生の別れを告げる暇なく 我眠る間に夫は逝けり

生前の夫もちたる腕時計今日も正しく時きざみいく

我が行く病院の日を書きてあり夫の残せる黒き手帳は

ブレンディ コップに入れてお休みと二階へ行く夫瞼に残る

いつの間に余生となりし 我がくらしあわててみても間に合わぬなり

淋しさは夫の夢見て目覚むとき荒涼とした部屋に我あり

亡き人がドアあけ帰り来る如き気のするときは線香をたく

いきなりに我の手さすりなぐさめてくれた人ありその名も知らず

庭先に冬薔薇一輪咲きにけり凍れる庭にその色紅く

雪降らぬ今年の冬を感謝せり降れば手も出ぬ足も出ぬ我

よき友よよき妹よ我悩むとき共に悩みて我は癒さる

庭の隅気づかぬうちに花をつけて金木犀は香りておりぬ

自転車でほほえみ挨拶されし顔家に帰りて思い出すなり

たまに来て娘(こ)が話するその涙何を云うかと思い迷えり

何時の間に余生となりぬあわてても引き返すことのできぬ人生

過去のこと思い煩うことなしに生きて行ければ幸いなりき

天覧の相撲で勝てり高見関うれしからんと心で拍手

美しき字で来たり寒見舞いその字の良さは一生のもの

哀しみの深まるときは牛乳を飲みて亡き母恋しく思ふ

糸はなす風船のごと一人いる我はさびしゐ子が出かけると

短歌 2002年 秋

回覧板とどけに行けば彼の妻のエプロン着けて隣人の出る

医師云いし三か月とは何時までか恐れ戦きカレンダー繰る

立会いのもとに煙草を吸う許可を得しともしらず止めしを悔いぬ

「太陽の如きが口に飛び込みぬ」夫の言葉は何を意味する

音楽も悩めるときに聴くときは胸にこたえずただ鳴り響く

苦しみと闘いている君のため吾叫ぶなり痛みをうせよ

苦しみて管にて痰を取りている夫より手紙「無理をするな」と

吾が夫の笑顔がよきとわが友にいわれし事はいつも忘れず

君の手の跡のつきたる糠床にわれかきまぜて大根漬けぬ

枯れたりと思いて捨てしムスカリは青き花つけ次次と咲く

蝋燭の燃え尽きるのを見ることは夫の最後の日の如くなり

自分だけジャンプする如死んでいく夫憎しと思ふときあり

病院へ二人で通った近道を今日も一人で通う私は

蚊がいると云えばベープをつけてきて我がかたわらに蚊をさがす子よ

おばあちゃん何処にいるのと泣き声で孫はきくなり電話に出れば

高音にステレオきいてうるさいと苦情いふ人だあれもいない

重き足ひきずりつつも洗濯を干し終わりし時夕立ちのくる

目覚めたるときの淋しさ彼はもう何処にもいないとしみじみ思ふ

短歌 2002年 春

この夏の暑さと競い合う如く赤赤と咲くのうぜんかずら

耳遠くなりて幾度もきき返す我に夫は飽かず答うる

本読みつつ氷下魚(こまい)をつまみいる夫は口寂しかるためにやあらむ

隣人は垣根越えたる柿の実をおとりなさいと夫に云いけり

夕刊を待ちきれなくてまあ夫は家の角にて傘さして立つ

食事後ふいと消えたる夫なり煙草を吸いに何処に行きし

夫我の医者の梯子を見送りぬ心療内科そして整形

白髪になれば口紅つけるべしをみななりしをわからすために

初恋は片思いなり六十年たちたる今も心ときめく

止められし煙草かくれてのむ夫の気持わかれど我は哀しき

朝早く買いに行きたり薬局に煙草嫌いになると云ふガム

冷蔵庫開けて取り出すもの忘れ閉めてようやく思ひ出すなり

カランコエ蕾ふくらみこの冬をよく耐えしよとほめてやりたし

裏庭に咲く白椿見に行けば紫すみれが群れなして咲く

退院しもどりし庭の沈丁花蕾ふくらみ我を待ちいつ

雪の上にパン屑まけば争いて鳥等は来たり食べつくすなり

テフロンのこげつっきし鍋を洗いつつナッキンコールのプリテンド聴く

診療日即入院となりし夫梅の満開みられずなりき

ストーブのつけ方覚えぬ我は夜ガウン着たまま布団に入る

ゆで卵鮭入りおむすび我の分おいて出かけり子はハイキング

カツサンド苦しくなるまで食べにけり二切れ位残せばよきに

夫のなき余生になるとは思はざり誰に伝へん心の傷を

死ぬること怖くはないと云いながら子の運転は一寸遠慮す

晩年は鬱でありしか我が母はしゃべることなくただ微笑みし

視力落ちこれより強きを求めればそれより上はなきと眼鏡屋

女子高生もも出しルックでモモくみてケイタイあそびユウユウ降りに行く

鬼の如白く塗りたる爪伸ばし若き女は恐ろしきかな

おとなしげジーパンはきし女高生座るやいなや鏡取り出す

短歌 2001年 秋

寒き日に酸素器かつぎ我が夫は確定申告せぬと出掛けぬ

雪の上にパン屑まけば争ひて鳥等は来たり食べつくすなり

病院の窓から見ゆるマンションのベランダに烏とまりけるかな

病院の夕食時の淋しさやあと寝るだけときめられてゐる

病院の消灯まぎは聞こえ来る拍子木の音人恋しかり

やせ細り指輪ぐるぐる廻転す結婚指輪中指に指す

今一度夫と行きたし多摩川の土手の櫻の満開時に

夜は字がよめなくなると母云いき我もしかなり今わかりけり

多摩川の土手へ乳母車押したりき今歩行器で我が身をはこぶ

わがそばに家族のたれかおらぬ時心淋しくなりし此の頃

お帰りと早くいいたしなかなかに帰り来ぬ子を待つ虫の秋

短歌 2001年 春

くちなしの香りただよう家の角杖をつきつつゆるゆると行く

アダモききその歌声にひたりつつ痛める足の憂さを忘れぬ

ひよどりが梅にとまりて見回せりリハビリをする我の窓辺に

子が我に明日のシチューを作る夜部屋の隅にてこほろぎの鳴く

ふうわりとノートに着地せし蜘蛛よ小さな身体で我おどろかす

美容院より帰りし娘秋なれば長めのカットと云ひてほほゑむ

雨強くなりつつある夜子の帰り遅きを案じ食べず待ちをり

症状をきく看護婦はきびしけれど寝るとき笑顔でお休みなさい

眠れざる病院の夜同室の人のいびきにあせりいるなり

癒ゆる日を夢にみるとてしょせん夢現に歩けぬ足をなげきぬ

子が我に送りてくれしシクラメン篝火の如く部屋に輝く

歩行器でよろけ倒れておもいきり路上で頬を打ちしことあり

短歌 2000年 秋

気が付けば梅雨晴れの庭一面にねじり花咲く面白きかな

色づきし大きな梅の実落ちておりそっと拾いぬその見事さに

朧月かかれるかたのポストまで夏の便りを出しにいくかな

子の土産なりし重たきオルゴール魔笛の曲は我を慰む

鳥に餌あたえる夫は入院し空の餌入れ風に揺れおり

ダイヤより我には尊く思はるるハイビスカスの最後の蕾

包丁を買って来るに夕飯のおかずにはてなまたも悩めり

口開けて夫寝てをり疲れしか確定申告吾に教へて

マイッタナー朝いちばんに夫の声寝声かうつつか聞く我辛し

此の町でただ一軒のレコード屋店じまいした後の淋しさ

風呂で寝てめざめし時の淋しさは浦島太郎の如き心地よ

磨かれし硝子戸なれば小雀は頭ぶつけて飛び去りしかな

退院すればはや庭にくる鳥たちの餌入れみたす夫なりけり

おじいちゃん退院したのときく孫は煙草止めたの?お酒止めたの?