短歌 1999年 秋

梅雨空にのうぜんかづら咲きそめて我が心まで明るくなりぬ

ほんの少しほんの少しと夫云ひぬ御飯をよそうときの淋しさ

不思議なりクリスチャンでもない友が毎年くれるクリスマスカード

待ちわびしアダモの歌を直かに聞き心も軽く夜道を帰る

雨戸操るを忘れてゐたり我が庭のしろたへの梅一斉に咲く

なかなかに起きて来ぬ夫気になりて足音しのびのぞきに行きぬ

荒れ果てし我が家の庭に天降りし如とき色の薔薇は咲き出でぬ

千円でジャイアンツの旗買ひし孫ぢいちゃんにと云ひおいていくかな

足病めば雑草ぬけずどくだみの白き十字の花にうづまる

歯の抜けしわが笑ひ顔いつの間にか孫のそれとも似たりけるかな

笑ひつつ電話をくれる友なれば暗き心に明かりのともる

スイスより帰り来る子を待ちわびてファックスの部屋絶えず覗きぬ

一日が人生の旅そのものに思へる吾れの迎ふ師走かな

短歌 1999年 春

たまひたる人を偲びて曇り日も我は雨傘つきて歩めり

雨傘を杖のかはりにつきし時ほのぼのとして嬉しかりけり

朝顔の種はやばやと取りし夫かびが生えたと我に言ひけり

東京で暮らせし亡き母鳩バスで見物したきと云ひし事あり

なくしたる眼鏡出てきたうれしさにチョコレート食ふ二つ三つ四つ

絶食をつづけて死にし猫のことときどき思ひあはれでならぬ

孫来れば仏壇の前に机出しその上にのり鉦(かね)を打つなり

田舎の子なる顔つきの少年が米届けに来て釣り間違える

音楽を聴くことさへも罪の如夫病みたるときに思へり

一日が苦難に充ちて終わるとき我はきくなりナッキンコール

することは山ほどあれど何をする気にもならずに寝たり起きたり

よく眠りたりし朝のうれしさよ誰に話さん何を話さん

短歌 1998年 秋

気の強き猫でありしが年老ひて頭撫でさす弱さみすなり

何故あんな可愛い声で啼くのかと病みたる猫はいじらしくてならぬ

今年また狐のカミソリ咲きにけりそばに二匹の猫の墓あり

ゴルフには興味なけれどテレビ見ていればきこへるうぐいすの声

我伏せばいづこともなくやってきてよりそひて伏す猫は死にたり

死んでもい何時死んでもいと云いながら医者通ひするは老人ばかり

病院にわれを見舞ひに来し夫振り返りつつ帰り行くかな

いり豆腐夫に教へどつづまりは冷奴にして食べしと云ひぬ

敬老の日の献立が何となくわびしく思へ小豆飯たく

水虫をうつせし夫水虫がなほりしとみえ少しもかかず

いびきかき眠れる夫のはたにいて眠れぬ吾のもどかしさかな

ロベリアといふ名もやさし青き花スイスの子思い買い求めたり

友人にもらひし傘が美しくささずに時々ひろげて眺む

あまりにも不味きぬかみそ飽き飽きし全部を捨ててさっぱりとしぬ

友呼びて練功をしてあそばんかケイキにすしに何をだそうか

若き日の父をまぶしく想ふとき展覧会の絵の曲流る

父の絵をみて帰りたるうれしさにしどろもどろの電話する我

洗濯を干す間もおしみ吾は聴くナッキンコールは永久の恋人

短歌 1998年 夏

水くきのあともうるはし俊成はいま群衆のただ中にあり

遠き日のうたびと見むと人々は慕ひ集ひてため息をつく

飛行機の中の雑誌にクーパーの破りたき程よき写真あり

アベックの隣に座り何となく居心地悪き空の旅かな

三等賞懸命に走る孫をみてそれでもうれし老いの此の身は

幼子もいつの間にやら少年の面差しみせて運動会終わる

つり革につかまり居眠りする人に席をゆづりてホッとするなり

コバルトの空明けそめし病院の今日の退院思ふ嬉さ

今日こそは整理せんとて押し入れを開けたがやはりまた閉めにけり

杖つきて歩けばスイスの山歩き思ひ出しけり少し楽しき

短歌 1998年 春

獅子舞の歯を打ち鳴らす景気付け暗き世相も明るくならん

第三の男ききつつ吾が夫は風呂わかしおり寒き冬の日

雨戸くれば白き椿の花一つ新しき年ことほぐ如し

かへり行く娘見送る雨の駅何時また会ふやわれ立ちつくす

節分の豆を撒かむと西の窓開くればおぼろの三日月かかる

豆つぶの如き蕾をびっしりと持てる日陰の梅いとしかり

なくせしとあきらめてゐしネックレス古きバッグより出でて嬉しも

ある時は捨てに行きまたつれかへりなどしたる猫おとろへてきぬ

我が留守に夫買ひたるレシートがテーブルにありハエトリリボン

猫老いて飼い主も老い淋しさのいやます家となりにけるかな

父と我 三月十日の空襲を二階の廊下で息ひそめみぬ

短歌 1997年 夏

うたた寝の我が子の髪にいく筋か白きをみれば苦労しのばる

陽のささぬ我が家の庭に野菫の群れなして咲くうれしきことよ

夕闇の長野の森の空間にヘールボップ彗星きらめくを見ぬ

一夜あけ薔薇一せいに咲き出しぬ我が眼うたがふよろこびにして

起き出でて雨戸を繰るは楽しけれ今盛りなる薔薇の花ばな

朝の間を夫に寄り添ひ顔そりてもらふひとときわれの倖せ

仏壇に母の日のカードとカーネーションそなへて在りし日をしのびたり

夫の留守にナッキンコールにききほれて空豆茹でゐしことも忘れぬ

草取りを怠りしかばどくだみの十字の花は庭一面に咲く

思ふことうまくしゃべれぬもどかしさいつから吾は人魚になりし

膝病みて体操の時よろめくを恥ずかしく思ふ如何にかくさん

久々の友の便りにそそくさと夜のポストに返事をはこぶ

父母に甘えるころにもどりたし何故人間は年をとるのだろう

夕食の前の散歩に森に行き栗鼠見つけたり木の間がくれに

子に会いに行きたる旅のひと月もあっといふ間の出来事となる

短歌 1997年 春

運動会富士見祭の半纏をはおりし孫の踊り愛らし

今は遠き思ひ出なれど子や孫と車で過ぎし小夜の中山

ビール湖へ花火見に行き帰り路はりんご種のみてほろ酔ひになる

スイスの公園の池の辺に立ち鴨たちにパン屑なげし日課なつかし

子に会ひに行きたる旅のひと月もあっといふ間の出来事となる

日照を奪はれたれど吾が庭に白とピンクの薔薇二つ咲く

幸いの時の手紙は捨てきれず出して又読み又しまふなり

ボロボロとなりし心に父母の写真抱きて春雷をきく

病院を抜け出したりき白銀に月冴ゆる夜ジフテリアの我

録音の音かもしれずいづこかの家の庭より鶯きこゆ

ジュネーブで買いにし蒼きリュック背負い何処にでも行く此の頃なりき

あと幾日共に暮らせる日は幾日夜寝るたびに吾は思へり

買い物に出ればタンポポそこここに咲きて知るなりすでに春なり

吾妻橋橋のたもとで二人の子うつせし想ひ出今もあざやか

嫌いなる人の夢みて目が覚めしいまいましさの残る朝かな

ぼんぼりの如くたわめる八重桜かつて我が家に咲きしことあり

短歌 1996年 冬

もう少しと催促したる夫の酒断りし後心地よからず

宇野千代の死をきき吾は淋しかり心の支へとなりてゐたれば

借りてきたる書籍の臭ひ好ましく我顔つけて幾度もかぐ

おとづれし葡萄祭のアルボワにルイ・パスツールの生家見出す

公園の大樹抱きてその精をわたしの心にひき入れんとす

中世の大寺院をば登りつめラインの流れ眼下に眺む

雨降れば氷河の雪をとかすなりスイスの川は碧く冷たく

膝病みてのろのろ歩き杖ほしと思へど我慢も少し我慢

気が付けば虫の音きかぬ夜となりぬ初雪降りしと子の便りあり

痛き足ひきずりつつも友の墓おとずれんとす今日の吾かな

通夜に行きし夫の帰りを待ちわびて鍵閉め塩を用意するかな

離れ住む子の帰りきて飛ぶように一日一日が過ぎてゆくかな

持ち時間いくらあるやら知らずして日々おくりいる我ら夫婦は

短歌 1996年 夏

頼りなき吾をたよるか吾が夫は薬の飲み方までを真似する

塀の上に雀並びて餌を待つ夫の撒くをいまかいまかと

化粧水の蓋をすること此の頃は忘るることあり己れ淋しむ

まだ寒き頃に生まれしをさなをば奈津子とつけて子は知らせ来ぬ

夫と向かひ合ひて書をば読むときに我いねぶりて二度本落とす

ジャンケンポン隣家の幼なはしゃぎつつ遊ぶ声ききなごめる日かな

路地裏にひょろり出て来たのら猫のその窶れざまに胸痛みけり

旅立ちの日が近づけば嬉しくて寝てもいられず起き出しにけり

人生の思い出作り夫と吾最後の旅を今楽しまん

朝がらす静かに啼けりなんとなく今日はよきことあるやもしれず

ちんまりと座りているよ白猫は削り節をばもらはんとして

短歌 1996年 春

月日たち絵にのみ残る桃源郷父の描きし山里の村

東京で一番うましといふ蕎麦を夫は友と食べに行きたり

マージャンに夫は出掛け我一人昨夜(きぞ)の残りのふろふきを食ぶ

子の便りアイルランドの海辺にてアシカ見たりと感激記す

外国へ戻りゆく娘と多摩川でビルの合ひ間に冬の富士見る

子の土産なりし魔笛のオルゴールきけど会へるはいつの日のこと

挙式終はり帰る新幹線の窓右に左に満月うごく

いる筈はなきと思えど電話することもありけり淋しきときは

酒飲みて覚めたる後のさびしげな夫の表情心に滲みつ