短歌 1995年 冬

ちゃんばらの相手に吾は格好の相手なりしか五歳の孫に

いづれそは忘れ去られる愛なれど今はひたすらいとし孫たち

オレンジののうぜんかずら華やかにゆらげど孫等遠く住みおり

旅半ばめまひす我を案じたる夫寝言で「参ったなあ」と

窓際に席占むる夫少年の如く下界に眼をこらしゐる

オランダの運河のともしびきらめきて宿の窓よりあかず眺むる

二頭馬車初めて乗りてふと思ふ大草原の小さな家を

旅の子がぐっすり眠る吾がベッド読書を止めて吾れは添い寝す

帰りたる子が寄越したるFAXを読むより先に先ずは抱きしむ

味噌汁に削り節をば入れるとき猫はすりよる吾の足元

短歌 1995年 夏

折れ曲がり折れ曲がりつつ探したる子規庵のそばに不折家ありき

予期もせぬ人より賀状来るとき何やら嬉し得した如く

久々に会ひたる人にいくつかと年きかれたり吾も老いたり

子の遊びたわむえたりし縫いぐるみ忘れて行きしを吾は抱きしむ

雪降っているよと知らせに来る孫共にくらせる日はいつまでか

病む膝をいやせんとして幾度もわたしの温泉栗湯につかる

食べたしと何時も云ふなり吾が夫は冬のスイスの焼き栗の味

さそはれて友と行きたり多摩川の桜の下で缶ビールのむ

短歌 1995年 春

柔らかき孫の手握り緑の日の動物園をさまよひにけり

動物を見るより孫は食ぶることベロベロキャンディ何処にあるかkと

行列のまた行列のバンズコレクション一体吾は何を見しかな

とりこみを忘れしパンツほかほかと大家がとどけてくれて恥ずかし

チャップリン住みしヴェヴェイの町でみしチャップリン薔薇持つ像の好まし

今は亡きジャン・ルイ・バロー座長せしオデオン座見し時はふるへり

レントゲンかげなしと云いし医師の顔吾には仏の顔に思へり

短歌 1994年 秋

ルーブルで総ガラスなるピラミッド新しき美を吾は知りたり

モネの家浮世絵多く飾られてあるを見て知る日本の美を

エッフェル塔見上げてみればあまりにも東京タワーと変わらず思ふ

汽笛鳴る如きオルセー美術館名画も多し疲れも多し

巴里に行き一週間を泊まりたる宿のその名はモリエールなる

宿の窓開くるば名高きカペル橋一望に見るこの驚きや

吾が描きし父の似顔絵に喜びし父はしるしぬ児戯可愛ゆしと

駐車場越しに隣家の窓あかり深夜のオレンジ色は気になる

短歌 1994年 夏

今年また母の形見の手袋をつかえることのうれしかりけり

大きなるおもちゃの時計もちてきて吾に起きよと孫は言ふなり

寝ころびてテレビを視れば寄り添いて共にテレビをみている幼

子と孫と共にくらせし楽しみを気づかず過ごししことをくやみぬ

排便のあとの始末も出来ざりし孫と別るる日も遠からじ

放牧の牛数頭が自動車の前をゆうゆうと横切りてゆく

草を噛む毎に鳴るなり放牧の牛の首より響く鈴の音

夫の顔少しみたくて屏風を僅かにずうらし吾は眠れり

てこずらす事多かれば疲れたる夫の顔に目脂すら見ゆ

いびきかき眠れる夫はうらやまし吾は起き出て牛乳をのむ

うまいもの宵に食へよと義母上の遺言なれば今も守りつ

ゴルフとは一期一会の楽しみか帰りし夫のこぼれる笑顔

短歌 1994年 春

雨のなか歩いて帰る淋しさにたった一駅電車に乗りぬ

孤独なる老女とばかり思ひ人赤子背負いて雨の道くる

靴修理待たされながらその店の明るさにふと救はれており

電車の戸閉まる間際に傘立てて無理やり出でよ愚かなる吾

まだ若き従弟を癌で失いしこと人生の残酷おぼゆ

のろのろと歩み吾をば追い越していく若き人やはり年だナ

このころは女いかつく肩はりて男なで肩ジャンパー姿

手帳より 1994年ごろ

雨のなか歩いて帰る淋しさにたった一駅電車に乗りぬ

孤独なる老女とばかり思ひ人赤子背負いて雨の道くる

靴修理待たされながらその店の明るさにふと救はれており

電車の戸閉まる間際に傘立てて無理やり出でよ愚かなる吾

まだ若き従弟を癌で失いしこと人生の残酷おぼゆ

のろのろと歩み吾をば追い越していく若き人やはり年だナ

このころは女いかつく肩はりて男なで肩ジャンパー姿

手帳より 1993年ごろ

紳士かと思へば淑女なりしなりシルバーシート男女の差なし

ものも言はず夫ゴルフにいきし日のこと思ひ出すなぜか今頃

はるけくも来るものかな氷見さして向かふすにて淋しくなりぬ

美しき人に席をばゆづられて吾はうれしき吾ははづかし

おばあちゃんチンチン電車いつ乗るの子供は約束忘れざるなり

有髪の尊師泪にむせびつつ説教したり叔母の葬儀に

たいこ橋背景にしてうつしたる昔の写真思ひ出したり

高岡の駅で別れぬ叔母いとこ淋しくなりてバナナを食べぬ

短歌 1993年

庭を見ておりし夫が真剣に梅の実七十つきしと云へり

人がみな飢えし時代に祖母われにおのれのめしを与へ給ひき

密教の儀式ならむかジャランジャラン正思影供(しょうみえく)にて打楽器響く

粉雪のしげき高野山夜の床熱き炬燵のありてうれしき

愛すればこと憎むなれ己が身に云ひきかせつつ今日も憎めり

何食はぬ顔して生きることできず追い詰められて苦しき日々よ

夜の明けることおそろしと思へり今日は何着て日をすごさんかと

眠れたか夫きくなり強き手が我が手にふるる時のかなしさ

爪切ってあげようかとのぞきこむ君はいつからそんなにやさしい

花めずる心は遠くなりにけりおどろおどろが吾が内に住む

おばあちゃんチューリップ咲いたと吾が手ひっく今朝見た花をまた見に行けり

旅行より帰りし人は晴れやかな笑顔で吾に挨拶をしぬ

あと何年生くるや知らずゴルフ狂許さむと吾思ふ十月

帰る子を待ちつつ米をとぎながら厨にある夜の如何に嬉しき

スイスより帰りたる子が家磨きこれでは毎年帰ると云へり

父の服のチョッキに書き給ふ光太郎の「美もっとも強し」祈りをり拝す

短歌 1992年 秋

祥平は「手を叩きましょ」うたひをり朝の機嫌のよき食卓で

今日こそは心優しくすごさんときめて又寝る布団かぶりて

疲れたる心地のすれば閉じた本開ける気もなくまた眼をつむる

御馳走さま云ひたるあとに祥平の大き泣き声す寝床できけり

妹が人無き苑にいばりするを待ちつつをれば鶯の鳴く

後悔をするときいたむ左胸右にも胸がほしと思へり

天敵と夫ゴルフをしてゐたり知らざりし間は平和なりしに

奥さんと夫寝言で言ひたりし人とのゴルフまた近づきぬ

愛すればこそ憎むなれ己が身に言ひきかせつつ今日も憎めり

ゴルフに行く夫吾より程遠く離れ寝てをりまた怒り湧く

我が心朝な夕なに苦しめるものを夫は妄想と呼ぶ

死にたしと思へどやはり生きたしと苦しむかかる我の生きざま

眠れたか夫此の頃毎朝の如くきくなりほろ苦きかな

夜遅く風呂に浸れば子は吾に声かくるなり確認なりと

蟹座なる夫が好む女たち不思議や蟹の顔をしてゐる

妹の倍の命を生きし我何ほどのことなせしよ今に

我が方に向きて眠ると誤解せり夫は肩に腫物できし

湯に飽きてヘチマで身体こすりけり心の垢もおとさんとして

我叩く子もまた病みている如し哀しかりけりあはれなりけり

夢でみしジャン・マレエこそさながらに我をなぐさむ化身仏かな