短歌 1992年 夏

泣くまいと思へど泣きぬ子と別るる前夜の宿の浴室の我

鳩時計「CHIKAKO CHIKAKO」と啼く如く我にはきこゆ別れきぬれば

迷ひつつ出かけてゆけば妹は五十五万の皮ゴートかな

たべるとは言へずびびるといふ幼我はいつでもびびる人なり

また明日遊ぼうねと階段をのぼりて行きぬ寝に行くをさな

疲れ果て眠りに落ちる瞬間にとろける如き感覚は来ぬ

落とせしに割れざる湯呑拾いあげ思はず言ひぬ「おお有難う」

太平記終わりて今は尊氏の顔見ることのできぬ淋しさ

短歌 1992年 春

飛行機の中で脇腹あな痒し東京の蚤つれて来しかな

機内食のこせしパンはもちかへり雀にやらむスイスの雀に

雲間より地表見えたり海底をのぞくが如くいづこの国ぞ

昔子が住みたる荒れしアパートを眺めに行きぬペルージアにて

後席でガバと口開けねる我を子に指摘されちょっととりすます

アッシジの教会めぐり墓めぐり人間の持つ心同じき

フィレンツェで亡き妹に夢で会ふ弾丸の如とびさり行きぬ

忙しいでせうと云って誘い来ることなき人ばかり我の正月

若い人いいねと云はぬ自分でも昔言われたことがあるから

押し入れに入らんとする猫めがけ座布団投げて追い払いけり

短歌 1991年 秋

陽のにほひかすかにすなれとり入れし寝巻を雨の降る夜に着れば

わかし過ぎてたっぷりの湯につかりけりただそれ丈の今朝のしあはせ

嫌いなる尊氏なれど「太平記」みているうちにひかれゆくかな

ごきぶりの子が出て次はのみが出て腹這ふ読書なぜか忙し

哀しみはあの焼け跡にあかざつむ祖母の姿を思ひ出す時

もしもしとまだ云えずして祥平はもしバアチャンと我を呼ぶかな

ヒレカツの衣かたしと夫また入歯こわしてゆで卵食う

保育園でおぼへたりしか孫の言ふ「あめえよう」とは何処の言葉ぞ

愚かなる子ほど可愛と父云いき貧しき子ほど我は可愛い

ピーナッツ食べて入歯を壊したる 夫医者からマージャンへ行く

今の世は不思議なるかな細々と畑耕し億万長者

友人の電話の声があまりにも亡き友に似て驚かされぬ

短歌 1991年 春

BERCONと書かれし銀の小さなる異国のマッチ花火の如し

オレンジののうぜんかづらみに行きてふうせんかづらの種もらひけり

雑草と化したる白き小さき花ブライダルベールは狭庭を埋む

風邪のわれ甘酸く臭ふ孫抱きて子の帰り待つ重たきかなよ

新しき帽子買ひしと友云ひぬ会ひたる時にかぶり来ずして

ガマ蛙池こはされてい居るところなきや隣家の池で啼きをり

ひたすらに歩めと医師にいはれたる友と行きたり赤札仁王

あくびする人の多きよ我も又つりこまれたる春の電車は

******

雲間より地表見えたり海底をのぞくが如きいづこのくにぞ

機上より大地を見たり十時間たちて地球は懐かしきかな

人の住む町見ゆ森も川も見ゆいよいよ降りるチューリヒの街

この家に宿りてみれば便り出す心そぞろになくなりしかな

短歌 1990年 

涼しげな緑の池よカイツブリ

愛らしき少女連れたる父親は花火の袋もちて寝ており

おしろいの花の匂いはなつかしき幼き頃の夕涼みなを

赤リュックかたへに置きて父親は幸せな眼で息子見ており

降りる駅間違へたれば引き返し笑みかはしおる喪服の夫婦

子がおきてゆきたる赤きサンダルをはきて出掛けん自由が丘へ

クーラーの車内を出れば熱帯の真っただ中に飛び出す如し

風呂場にて鈴虫鳴くと子は言ひぬそれらしき音を吾も聞きつつ

松桜梅の木陰に月をみてうたた寝をしぬ雨戸しめずに

チャルメラの音淋しげにきこゆなり夜更けて一人くりやにあれば

蝉しぐれ耳を聾するま昼間を深山にある心もて聞く

眼に汗の入る残暑も洗濯と炊事場洗ひす少しは涼し

ゴキブリは夜のギャングよ殺虫剤つかみたれどもその手動かず

仏壇に朝顔そなへ亡き母の笑顔がふっと重なりてきぬ

静かだなあ夫は云いぬ感こめて娘夫婦の出かけし連休

眼も悪くなれりと云いて出されたる菓子箱のふち小蟻這いおり

手伝はんとすれば拒絶にあふことの多く同居のむつかしさかな

我が旅は始まれるなり妹の形見の黒のカーディガン着て

妹が若き命を捨てんとし見出されたる山崎すぎし

懐かしき父母眠る新しき東太田の墓地訪れぬ

幾たびもつぶれかけたといふホテル豪壮な庭に心奪はれぬ

弟がうたによみたる義母岳父我もまみえて嬉しかりけり

山海の珍味多くていただけぬ分に心を残してじせり

目先なることにとらはれ忘れいしつぐなふべきこと多々ありし我

弟に案内されきし父母の墓前に我は何を誓はん

妹と共に歩きしこともあり新神戸駅今たたんとす

幾度か妹送りきてくれし新神戸駅に我はあるなり

此の駅で別れしことが夢のごと思い出さるる妹のこと

新神戸去るとき哀し妹と別れる如く泪あふれぬ