短歌 2001年 秋

寒き日に酸素器かつぎ我が夫は確定申告せぬと出掛けぬ

雪の上にパン屑まけば争ひて鳥等は来たり食べつくすなり

病院の窓から見ゆるマンションのベランダに烏とまりけるかな

病院の夕食時の淋しさやあと寝るだけときめられてゐる

病院の消灯まぎは聞こえ来る拍子木の音人恋しかり

やせ細り指輪ぐるぐる廻転す結婚指輪中指に指す

今一度夫と行きたし多摩川の土手の櫻の満開時に

夜は字がよめなくなると母云いき我もしかなり今わかりけり

多摩川の土手へ乳母車押したりき今歩行器で我が身をはこぶ

わがそばに家族のたれかおらぬ時心淋しくなりし此の頃

お帰りと早くいいたしなかなかに帰り来ぬ子を待つ虫の秋

短歌 2001年 春

くちなしの香りただよう家の角杖をつきつつゆるゆると行く

アダモききその歌声にひたりつつ痛める足の憂さを忘れぬ

ひよどりが梅にとまりて見回せりリハビリをする我の窓辺に

子が我に明日のシチューを作る夜部屋の隅にてこほろぎの鳴く

ふうわりとノートに着地せし蜘蛛よ小さな身体で我おどろかす

美容院より帰りし娘秋なれば長めのカットと云ひてほほゑむ

雨強くなりつつある夜子の帰り遅きを案じ食べず待ちをり

症状をきく看護婦はきびしけれど寝るとき笑顔でお休みなさい

眠れざる病院の夜同室の人のいびきにあせりいるなり

癒ゆる日を夢にみるとてしょせん夢現に歩けぬ足をなげきぬ

子が我に送りてくれしシクラメン篝火の如く部屋に輝く

歩行器でよろけ倒れておもいきり路上で頬を打ちしことあり

短歌 2000年 秋

気が付けば梅雨晴れの庭一面にねじり花咲く面白きかな

色づきし大きな梅の実落ちておりそっと拾いぬその見事さに

朧月かかれるかたのポストまで夏の便りを出しにいくかな

子の土産なりし重たきオルゴール魔笛の曲は我を慰む

鳥に餌あたえる夫は入院し空の餌入れ風に揺れおり

ダイヤより我には尊く思はるるハイビスカスの最後の蕾

包丁を買って来るに夕飯のおかずにはてなまたも悩めり

口開けて夫寝てをり疲れしか確定申告吾に教へて

マイッタナー朝いちばんに夫の声寝声かうつつか聞く我辛し

此の町でただ一軒のレコード屋店じまいした後の淋しさ

風呂で寝てめざめし時の淋しさは浦島太郎の如き心地よ

磨かれし硝子戸なれば小雀は頭ぶつけて飛び去りしかな

退院すればはや庭にくる鳥たちの餌入れみたす夫なりけり

おじいちゃん退院したのときく孫は煙草止めたの?お酒止めたの?

短歌 2000年 春

リハビリに夫婦で行ける送迎のバスより見ゆる木更津の海

鳩時計直して夫友人に会ひに行きたり暑き日の午後

さりげなく婿の持ち来しじゃが芋の大小ごろり玄関の前

お休みと云ひて二階に夫行きぬ口論したるあとではあれど

さびしーつと悲鳴に近き声あげし寡婦の言葉が耳をはなれず

エアコンをつけ変えたるに待ちし子は来ることもなく夏過ぎんとす

招かれて行きし孫等と過ごしたる運動会の日も遠くなり

臨海の事故で気付きぬスーパーに売れ残る水戸納豆の山

二階から声あり「花火やってるよ」テレビでそれに興ずる夫

暑き日はシーツ一つにくるまりて赤子のになりし心地で眠る

地震ありてかたへに来たり寝たる子はいつしかいびきをかいておるなり

短歌 1999年 秋

梅雨空にのうぜんかづら咲きそめて我が心まで明るくなりぬ

ほんの少しほんの少しと夫云ひぬ御飯をよそうときの淋しさ

不思議なりクリスチャンでもない友が毎年くれるクリスマスカード

待ちわびしアダモの歌を直かに聞き心も軽く夜道を帰る

雨戸操るを忘れてゐたり我が庭のしろたへの梅一斉に咲く

なかなかに起きて来ぬ夫気になりて足音しのびのぞきに行きぬ

荒れ果てし我が家の庭に天降りし如とき色の薔薇は咲き出でぬ

千円でジャイアンツの旗買ひし孫ぢいちゃんにと云ひおいていくかな

足病めば雑草ぬけずどくだみの白き十字の花にうづまる

歯の抜けしわが笑ひ顔いつの間にか孫のそれとも似たりけるかな

笑ひつつ電話をくれる友なれば暗き心に明かりのともる

スイスより帰り来る子を待ちわびてファックスの部屋絶えず覗きぬ

一日が人生の旅そのものに思へる吾れの迎ふ師走かな

短歌 1999年 春

たまひたる人を偲びて曇り日も我は雨傘つきて歩めり

雨傘を杖のかはりにつきし時ほのぼのとして嬉しかりけり

朝顔の種はやばやと取りし夫かびが生えたと我に言ひけり

東京で暮らせし亡き母鳩バスで見物したきと云ひし事あり

なくしたる眼鏡出てきたうれしさにチョコレート食ふ二つ三つ四つ

絶食をつづけて死にし猫のことときどき思ひあはれでならぬ

孫来れば仏壇の前に机出しその上にのり鉦(かね)を打つなり

田舎の子なる顔つきの少年が米届けに来て釣り間違える

音楽を聴くことさへも罪の如夫病みたるときに思へり

一日が苦難に充ちて終わるとき我はきくなりナッキンコール

することは山ほどあれど何をする気にもならずに寝たり起きたり

よく眠りたりし朝のうれしさよ誰に話さん何を話さん

短歌 1998年 秋

気の強き猫でありしが年老ひて頭撫でさす弱さみすなり

何故あんな可愛い声で啼くのかと病みたる猫はいじらしくてならぬ

今年また狐のカミソリ咲きにけりそばに二匹の猫の墓あり

ゴルフには興味なけれどテレビ見ていればきこへるうぐいすの声

我伏せばいづこともなくやってきてよりそひて伏す猫は死にたり

死んでもい何時死んでもいと云いながら医者通ひするは老人ばかり

病院にわれを見舞ひに来し夫振り返りつつ帰り行くかな

いり豆腐夫に教へどつづまりは冷奴にして食べしと云ひぬ

敬老の日の献立が何となくわびしく思へ小豆飯たく

水虫をうつせし夫水虫がなほりしとみえ少しもかかず

いびきかき眠れる夫のはたにいて眠れぬ吾のもどかしさかな

ロベリアといふ名もやさし青き花スイスの子思い買い求めたり

友人にもらひし傘が美しくささずに時々ひろげて眺む

あまりにも不味きぬかみそ飽き飽きし全部を捨ててさっぱりとしぬ

友呼びて練功をしてあそばんかケイキにすしに何をだそうか

若き日の父をまぶしく想ふとき展覧会の絵の曲流る

父の絵をみて帰りたるうれしさにしどろもどろの電話する我

洗濯を干す間もおしみ吾は聴くナッキンコールは永久の恋人

短歌 1998年 夏

水くきのあともうるはし俊成はいま群衆のただ中にあり

遠き日のうたびと見むと人々は慕ひ集ひてため息をつく

飛行機の中の雑誌にクーパーの破りたき程よき写真あり

アベックの隣に座り何となく居心地悪き空の旅かな

三等賞懸命に走る孫をみてそれでもうれし老いの此の身は

幼子もいつの間にやら少年の面差しみせて運動会終わる

つり革につかまり居眠りする人に席をゆづりてホッとするなり

コバルトの空明けそめし病院の今日の退院思ふ嬉さ

今日こそは整理せんとて押し入れを開けたがやはりまた閉めにけり

杖つきて歩けばスイスの山歩き思ひ出しけり少し楽しき

短歌 1998年 春

獅子舞の歯を打ち鳴らす景気付け暗き世相も明るくならん

第三の男ききつつ吾が夫は風呂わかしおり寒き冬の日

雨戸くれば白き椿の花一つ新しき年ことほぐ如し

かへり行く娘見送る雨の駅何時また会ふやわれ立ちつくす

節分の豆を撒かむと西の窓開くればおぼろの三日月かかる

豆つぶの如き蕾をびっしりと持てる日陰の梅いとしかり

なくせしとあきらめてゐしネックレス古きバッグより出でて嬉しも

ある時は捨てに行きまたつれかへりなどしたる猫おとろへてきぬ

我が留守に夫買ひたるレシートがテーブルにありハエトリリボン

猫老いて飼い主も老い淋しさのいやます家となりにけるかな

父と我 三月十日の空襲を二階の廊下で息ひそめみぬ

短歌 1997年 夏

うたた寝の我が子の髪にいく筋か白きをみれば苦労しのばる

陽のささぬ我が家の庭に野菫の群れなして咲くうれしきことよ

夕闇の長野の森の空間にヘールボップ彗星きらめくを見ぬ

一夜あけ薔薇一せいに咲き出しぬ我が眼うたがふよろこびにして

起き出でて雨戸を繰るは楽しけれ今盛りなる薔薇の花ばな

朝の間を夫に寄り添ひ顔そりてもらふひとときわれの倖せ

仏壇に母の日のカードとカーネーションそなへて在りし日をしのびたり

夫の留守にナッキンコールにききほれて空豆茹でゐしことも忘れぬ

草取りを怠りしかばどくだみの十字の花は庭一面に咲く

思ふことうまくしゃべれぬもどかしさいつから吾は人魚になりし

膝病みて体操の時よろめくを恥ずかしく思ふ如何にかくさん

久々の友の便りにそそくさと夜のポストに返事をはこぶ

父母に甘えるころにもどりたし何故人間は年をとるのだろう

夕食の前の散歩に森に行き栗鼠見つけたり木の間がくれに

子に会いに行きたる旅のひと月もあっといふ間の出来事となる