手帳より 1994年ごろ

雨のなか歩いて帰る淋しさにたった一駅電車に乗りぬ

孤独なる老女とばかり思ひ人赤子背負いて雨の道くる

靴修理待たされながらその店の明るさにふと救はれており

電車の戸閉まる間際に傘立てて無理やり出でよ愚かなる吾

まだ若き従弟を癌で失いしこと人生の残酷おぼゆ

のろのろと歩み吾をば追い越していく若き人やはり年だナ

このころは女いかつく肩はりて男なで肩ジャンパー姿

手帳より 1993年ごろ

紳士かと思へば淑女なりしなりシルバーシート男女の差なし

ものも言はず夫ゴルフにいきし日のこと思ひ出すなぜか今頃

はるけくも来るものかな氷見さして向かふすにて淋しくなりぬ

美しき人に席をばゆづられて吾はうれしき吾ははづかし

おばあちゃんチンチン電車いつ乗るの子供は約束忘れざるなり

有髪の尊師泪にむせびつつ説教したり叔母の葬儀に

たいこ橋背景にしてうつしたる昔の写真思ひ出したり

高岡の駅で別れぬ叔母いとこ淋しくなりてバナナを食べぬ

短歌 1993年

庭を見ておりし夫が真剣に梅の実七十つきしと云へり

人がみな飢えし時代に祖母われにおのれのめしを与へ給ひき

密教の儀式ならむかジャランジャラン正思影供(しょうみえく)にて打楽器響く

粉雪のしげき高野山夜の床熱き炬燵のありてうれしき

愛すればこと憎むなれ己が身に云ひきかせつつ今日も憎めり

何食はぬ顔して生きることできず追い詰められて苦しき日々よ

夜の明けることおそろしと思へり今日は何着て日をすごさんかと

眠れたか夫きくなり強き手が我が手にふるる時のかなしさ

爪切ってあげようかとのぞきこむ君はいつからそんなにやさしい

花めずる心は遠くなりにけりおどろおどろが吾が内に住む

おばあちゃんチューリップ咲いたと吾が手ひっく今朝見た花をまた見に行けり

旅行より帰りし人は晴れやかな笑顔で吾に挨拶をしぬ

あと何年生くるや知らずゴルフ狂許さむと吾思ふ十月

帰る子を待ちつつ米をとぎながら厨にある夜の如何に嬉しき

スイスより帰りたる子が家磨きこれでは毎年帰ると云へり

父の服のチョッキに書き給ふ光太郎の「美もっとも強し」祈りをり拝す

短歌 1992年 秋

祥平は「手を叩きましょ」うたひをり朝の機嫌のよき食卓で

今日こそは心優しくすごさんときめて又寝る布団かぶりて

疲れたる心地のすれば閉じた本開ける気もなくまた眼をつむる

御馳走さま云ひたるあとに祥平の大き泣き声す寝床できけり

妹が人無き苑にいばりするを待ちつつをれば鶯の鳴く

後悔をするときいたむ左胸右にも胸がほしと思へり

天敵と夫ゴルフをしてゐたり知らざりし間は平和なりしに

奥さんと夫寝言で言ひたりし人とのゴルフまた近づきぬ

愛すればこそ憎むなれ己が身に言ひきかせつつ今日も憎めり

ゴルフに行く夫吾より程遠く離れ寝てをりまた怒り湧く

我が心朝な夕なに苦しめるものを夫は妄想と呼ぶ

死にたしと思へどやはり生きたしと苦しむかかる我の生きざま

眠れたか夫此の頃毎朝の如くきくなりほろ苦きかな

夜遅く風呂に浸れば子は吾に声かくるなり確認なりと

蟹座なる夫が好む女たち不思議や蟹の顔をしてゐる

妹の倍の命を生きし我何ほどのことなせしよ今に

我が方に向きて眠ると誤解せり夫は肩に腫物できし

湯に飽きてヘチマで身体こすりけり心の垢もおとさんとして

我叩く子もまた病みている如し哀しかりけりあはれなりけり

夢でみしジャン・マレエこそさながらに我をなぐさむ化身仏かな

短歌 1992年 夏

泣くまいと思へど泣きぬ子と別るる前夜の宿の浴室の我

鳩時計「CHIKAKO CHIKAKO」と啼く如く我にはきこゆ別れきぬれば

迷ひつつ出かけてゆけば妹は五十五万の皮ゴートかな

たべるとは言へずびびるといふ幼我はいつでもびびる人なり

また明日遊ぼうねと階段をのぼりて行きぬ寝に行くをさな

疲れ果て眠りに落ちる瞬間にとろける如き感覚は来ぬ

落とせしに割れざる湯呑拾いあげ思はず言ひぬ「おお有難う」

太平記終わりて今は尊氏の顔見ることのできぬ淋しさ

短歌 1992年 春

飛行機の中で脇腹あな痒し東京の蚤つれて来しかな

機内食のこせしパンはもちかへり雀にやらむスイスの雀に

雲間より地表見えたり海底をのぞくが如くいづこの国ぞ

昔子が住みたる荒れしアパートを眺めに行きぬペルージアにて

後席でガバと口開けねる我を子に指摘されちょっととりすます

アッシジの教会めぐり墓めぐり人間の持つ心同じき

フィレンツェで亡き妹に夢で会ふ弾丸の如とびさり行きぬ

忙しいでせうと云って誘い来ることなき人ばかり我の正月

若い人いいねと云はぬ自分でも昔言われたことがあるから

押し入れに入らんとする猫めがけ座布団投げて追い払いけり

短歌 1991年 秋

陽のにほひかすかにすなれとり入れし寝巻を雨の降る夜に着れば

わかし過ぎてたっぷりの湯につかりけりただそれ丈の今朝のしあはせ

嫌いなる尊氏なれど「太平記」みているうちにひかれゆくかな

ごきぶりの子が出て次はのみが出て腹這ふ読書なぜか忙し

哀しみはあの焼け跡にあかざつむ祖母の姿を思ひ出す時

もしもしとまだ云えずして祥平はもしバアチャンと我を呼ぶかな

ヒレカツの衣かたしと夫また入歯こわしてゆで卵食う

保育園でおぼへたりしか孫の言ふ「あめえよう」とは何処の言葉ぞ

愚かなる子ほど可愛と父云いき貧しき子ほど我は可愛い

ピーナッツ食べて入歯を壊したる 夫医者からマージャンへ行く

今の世は不思議なるかな細々と畑耕し億万長者

友人の電話の声があまりにも亡き友に似て驚かされぬ

短歌 1991年 春

BERCONと書かれし銀の小さなる異国のマッチ花火の如し

オレンジののうぜんかづらみに行きてふうせんかづらの種もらひけり

雑草と化したる白き小さき花ブライダルベールは狭庭を埋む

風邪のわれ甘酸く臭ふ孫抱きて子の帰り待つ重たきかなよ

新しき帽子買ひしと友云ひぬ会ひたる時にかぶり来ずして

ガマ蛙池こはされてい居るところなきや隣家の池で啼きをり

ひたすらに歩めと医師にいはれたる友と行きたり赤札仁王

あくびする人の多きよ我も又つりこまれたる春の電車は

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雲間より地表見えたり海底をのぞくが如きいづこのくにぞ

機上より大地を見たり十時間たちて地球は懐かしきかな

人の住む町見ゆ森も川も見ゆいよいよ降りるチューリヒの街

この家に宿りてみれば便り出す心そぞろになくなりしかな

短歌 1990年 

涼しげな緑の池よカイツブリ

愛らしき少女連れたる父親は花火の袋もちて寝ており

おしろいの花の匂いはなつかしき幼き頃の夕涼みなを

赤リュックかたへに置きて父親は幸せな眼で息子見ており

降りる駅間違へたれば引き返し笑みかはしおる喪服の夫婦

子がおきてゆきたる赤きサンダルをはきて出掛けん自由が丘へ

クーラーの車内を出れば熱帯の真っただ中に飛び出す如し

風呂場にて鈴虫鳴くと子は言ひぬそれらしき音を吾も聞きつつ

松桜梅の木陰に月をみてうたた寝をしぬ雨戸しめずに

チャルメラの音淋しげにきこゆなり夜更けて一人くりやにあれば

蝉しぐれ耳を聾するま昼間を深山にある心もて聞く

眼に汗の入る残暑も洗濯と炊事場洗ひす少しは涼し

ゴキブリは夜のギャングよ殺虫剤つかみたれどもその手動かず

仏壇に朝顔そなへ亡き母の笑顔がふっと重なりてきぬ

静かだなあ夫は云いぬ感こめて娘夫婦の出かけし連休

眼も悪くなれりと云いて出されたる菓子箱のふち小蟻這いおり

手伝はんとすれば拒絶にあふことの多く同居のむつかしさかな

我が旅は始まれるなり妹の形見の黒のカーディガン着て

妹が若き命を捨てんとし見出されたる山崎すぎし

懐かしき父母眠る新しき東太田の墓地訪れぬ

幾たびもつぶれかけたといふホテル豪壮な庭に心奪はれぬ

弟がうたによみたる義母岳父我もまみえて嬉しかりけり

山海の珍味多くていただけぬ分に心を残してじせり

目先なることにとらはれ忘れいしつぐなふべきこと多々ありし我

弟に案内されきし父母の墓前に我は何を誓はん

妹と共に歩きしこともあり新神戸駅今たたんとす

幾度か妹送りきてくれし新神戸駅に我はあるなり

此の駅で別れしことが夢のごと思い出さるる妹のこと

新神戸去るとき哀し妹と別れる如く泪あふれぬ

短歌 1970年

岡藤銀子さんを西荻窪に見舞う

高円寺阿佐ヶ谷又東中野 妹につながる想ひ出はみな悲しい

高円寺また阿佐ヶ谷と悲しみの記憶の糸をたぐる駅名よ

新婚の妹住し東中野たづねし想ひ出数多くあり

9月27日

子に頬を寄すれば泪あふれ出ず泉の如くつきることなく

9月26日右乳にしこりあることを医師に認められた

蓮の葉にころぶるつゆに似し泪 いくすじも落つ シーツぬらして

9月29日

ふと夜半に目ざむるときのおそろしく 枕の下に数珠入れてねる

つややかに風呂上りなり母の顔 ふとまどろみし夢にみるかな