短歌 2003年 春

今生の別れを告げる暇なく 我眠る間に夫は逝けり

生前の夫もちたる腕時計今日も正しく時きざみいく

我が行く病院の日を書きてあり夫の残せる黒き手帳は

ブレンディ コップに入れてお休みと二階へ行く夫瞼に残る

いつの間に余生となりし 我がくらしあわててみても間に合わぬなり

淋しさは夫の夢見て目覚むとき荒涼とした部屋に我あり

亡き人がドアあけ帰り来る如き気のするときは線香をたく

いきなりに我の手さすりなぐさめてくれた人ありその名も知らず

庭先に冬薔薇一輪咲きにけり凍れる庭にその色紅く

雪降らぬ今年の冬を感謝せり降れば手も出ぬ足も出ぬ我

よき友よよき妹よ我悩むとき共に悩みて我は癒さる

庭の隅気づかぬうちに花をつけて金木犀は香りておりぬ

自転車でほほえみ挨拶されし顔家に帰りて思い出すなり

たまに来て娘(こ)が話するその涙何を云うかと思い迷えり

何時の間に余生となりぬあわてても引き返すことのできぬ人生

過去のこと思い煩うことなしに生きて行ければ幸いなりき

天覧の相撲で勝てり高見関うれしからんと心で拍手

美しき字で来たり寒見舞いその字の良さは一生のもの

哀しみの深まるときは牛乳を飲みて亡き母恋しく思ふ

糸はなす風船のごと一人いる我はさびしゐ子が出かけると

短歌 2002年 秋

回覧板とどけに行けば彼の妻のエプロン着けて隣人の出る

医師云いし三か月とは何時までか恐れ戦きカレンダー繰る

立会いのもとに煙草を吸う許可を得しともしらず止めしを悔いぬ

「太陽の如きが口に飛び込みぬ」夫の言葉は何を意味する

音楽も悩めるときに聴くときは胸にこたえずただ鳴り響く

苦しみと闘いている君のため吾叫ぶなり痛みをうせよ

苦しみて管にて痰を取りている夫より手紙「無理をするな」と

吾が夫の笑顔がよきとわが友にいわれし事はいつも忘れず

君の手の跡のつきたる糠床にわれかきまぜて大根漬けぬ

枯れたりと思いて捨てしムスカリは青き花つけ次次と咲く

蝋燭の燃え尽きるのを見ることは夫の最後の日の如くなり

自分だけジャンプする如死んでいく夫憎しと思ふときあり

病院へ二人で通った近道を今日も一人で通う私は

蚊がいると云えばベープをつけてきて我がかたわらに蚊をさがす子よ

おばあちゃん何処にいるのと泣き声で孫はきくなり電話に出れば

高音にステレオきいてうるさいと苦情いふ人だあれもいない

重き足ひきずりつつも洗濯を干し終わりし時夕立ちのくる

目覚めたるときの淋しさ彼はもう何処にもいないとしみじみ思ふ

短歌 2002年 春

この夏の暑さと競い合う如く赤赤と咲くのうぜんかずら

耳遠くなりて幾度もきき返す我に夫は飽かず答うる

本読みつつ氷下魚(こまい)をつまみいる夫は口寂しかるためにやあらむ

隣人は垣根越えたる柿の実をおとりなさいと夫に云いけり

夕刊を待ちきれなくてまあ夫は家の角にて傘さして立つ

食事後ふいと消えたる夫なり煙草を吸いに何処に行きし

夫我の医者の梯子を見送りぬ心療内科そして整形

白髪になれば口紅つけるべしをみななりしをわからすために

初恋は片思いなり六十年たちたる今も心ときめく

止められし煙草かくれてのむ夫の気持わかれど我は哀しき

朝早く買いに行きたり薬局に煙草嫌いになると云ふガム

冷蔵庫開けて取り出すもの忘れ閉めてようやく思ひ出すなり

カランコエ蕾ふくらみこの冬をよく耐えしよとほめてやりたし

裏庭に咲く白椿見に行けば紫すみれが群れなして咲く

退院しもどりし庭の沈丁花蕾ふくらみ我を待ちいつ

雪の上にパン屑まけば争いて鳥等は来たり食べつくすなり

テフロンのこげつっきし鍋を洗いつつナッキンコールのプリテンド聴く

診療日即入院となりし夫梅の満開みられずなりき

ストーブのつけ方覚えぬ我は夜ガウン着たまま布団に入る

ゆで卵鮭入りおむすび我の分おいて出かけり子はハイキング

カツサンド苦しくなるまで食べにけり二切れ位残せばよきに

夫のなき余生になるとは思はざり誰に伝へん心の傷を

死ぬること怖くはないと云いながら子の運転は一寸遠慮す

晩年は鬱でありしか我が母はしゃべることなくただ微笑みし

視力落ちこれより強きを求めればそれより上はなきと眼鏡屋

女子高生もも出しルックでモモくみてケイタイあそびユウユウ降りに行く

鬼の如白く塗りたる爪伸ばし若き女は恐ろしきかな

おとなしげジーパンはきし女高生座るやいなや鏡取り出す

短歌 2001年 秋

寒き日に酸素器かつぎ我が夫は確定申告せぬと出掛けぬ

雪の上にパン屑まけば争ひて鳥等は来たり食べつくすなり

病院の窓から見ゆるマンションのベランダに烏とまりけるかな

病院の夕食時の淋しさやあと寝るだけときめられてゐる

病院の消灯まぎは聞こえ来る拍子木の音人恋しかり

やせ細り指輪ぐるぐる廻転す結婚指輪中指に指す

今一度夫と行きたし多摩川の土手の櫻の満開時に

夜は字がよめなくなると母云いき我もしかなり今わかりけり

多摩川の土手へ乳母車押したりき今歩行器で我が身をはこぶ

わがそばに家族のたれかおらぬ時心淋しくなりし此の頃

お帰りと早くいいたしなかなかに帰り来ぬ子を待つ虫の秋

短歌 2001年 春

くちなしの香りただよう家の角杖をつきつつゆるゆると行く

アダモききその歌声にひたりつつ痛める足の憂さを忘れぬ

ひよどりが梅にとまりて見回せりリハビリをする我の窓辺に

子が我に明日のシチューを作る夜部屋の隅にてこほろぎの鳴く

ふうわりとノートに着地せし蜘蛛よ小さな身体で我おどろかす

美容院より帰りし娘秋なれば長めのカットと云ひてほほゑむ

雨強くなりつつある夜子の帰り遅きを案じ食べず待ちをり

症状をきく看護婦はきびしけれど寝るとき笑顔でお休みなさい

眠れざる病院の夜同室の人のいびきにあせりいるなり

癒ゆる日を夢にみるとてしょせん夢現に歩けぬ足をなげきぬ

子が我に送りてくれしシクラメン篝火の如く部屋に輝く

歩行器でよろけ倒れておもいきり路上で頬を打ちしことあり

短歌 2000年 秋

気が付けば梅雨晴れの庭一面にねじり花咲く面白きかな

色づきし大きな梅の実落ちておりそっと拾いぬその見事さに

朧月かかれるかたのポストまで夏の便りを出しにいくかな

子の土産なりし重たきオルゴール魔笛の曲は我を慰む

鳥に餌あたえる夫は入院し空の餌入れ風に揺れおり

ダイヤより我には尊く思はるるハイビスカスの最後の蕾

包丁を買って来るに夕飯のおかずにはてなまたも悩めり

口開けて夫寝てをり疲れしか確定申告吾に教へて

マイッタナー朝いちばんに夫の声寝声かうつつか聞く我辛し

此の町でただ一軒のレコード屋店じまいした後の淋しさ

風呂で寝てめざめし時の淋しさは浦島太郎の如き心地よ

磨かれし硝子戸なれば小雀は頭ぶつけて飛び去りしかな

退院すればはや庭にくる鳥たちの餌入れみたす夫なりけり

おじいちゃん退院したのときく孫は煙草止めたの?お酒止めたの?

短歌 2000年 春

リハビリに夫婦で行ける送迎のバスより見ゆる木更津の海

鳩時計直して夫友人に会ひに行きたり暑き日の午後

さりげなく婿の持ち来しじゃが芋の大小ごろり玄関の前

お休みと云ひて二階に夫行きぬ口論したるあとではあれど

さびしーつと悲鳴に近き声あげし寡婦の言葉が耳をはなれず

エアコンをつけ変えたるに待ちし子は来ることもなく夏過ぎんとす

招かれて行きし孫等と過ごしたる運動会の日も遠くなり

臨海の事故で気付きぬスーパーに売れ残る水戸納豆の山

二階から声あり「花火やってるよ」テレビでそれに興ずる夫

暑き日はシーツ一つにくるまりて赤子のになりし心地で眠る

地震ありてかたへに来たり寝たる子はいつしかいびきをかいておるなり

短歌 1999年 秋

梅雨空にのうぜんかづら咲きそめて我が心まで明るくなりぬ

ほんの少しほんの少しと夫云ひぬ御飯をよそうときの淋しさ

不思議なりクリスチャンでもない友が毎年くれるクリスマスカード

待ちわびしアダモの歌を直かに聞き心も軽く夜道を帰る

雨戸操るを忘れてゐたり我が庭のしろたへの梅一斉に咲く

なかなかに起きて来ぬ夫気になりて足音しのびのぞきに行きぬ

荒れ果てし我が家の庭に天降りし如とき色の薔薇は咲き出でぬ

千円でジャイアンツの旗買ひし孫ぢいちゃんにと云ひおいていくかな

足病めば雑草ぬけずどくだみの白き十字の花にうづまる

歯の抜けしわが笑ひ顔いつの間にか孫のそれとも似たりけるかな

笑ひつつ電話をくれる友なれば暗き心に明かりのともる

スイスより帰り来る子を待ちわびてファックスの部屋絶えず覗きぬ

一日が人生の旅そのものに思へる吾れの迎ふ師走かな

短歌 1999年 春

たまひたる人を偲びて曇り日も我は雨傘つきて歩めり

雨傘を杖のかはりにつきし時ほのぼのとして嬉しかりけり

朝顔の種はやばやと取りし夫かびが生えたと我に言ひけり

東京で暮らせし亡き母鳩バスで見物したきと云ひし事あり

なくしたる眼鏡出てきたうれしさにチョコレート食ふ二つ三つ四つ

絶食をつづけて死にし猫のことときどき思ひあはれでならぬ

孫来れば仏壇の前に机出しその上にのり鉦(かね)を打つなり

田舎の子なる顔つきの少年が米届けに来て釣り間違える

音楽を聴くことさへも罪の如夫病みたるときに思へり

一日が苦難に充ちて終わるとき我はきくなりナッキンコール

することは山ほどあれど何をする気にもならずに寝たり起きたり

よく眠りたりし朝のうれしさよ誰に話さん何を話さん

短歌 1998年 秋

気の強き猫でありしが年老ひて頭撫でさす弱さみすなり

何故あんな可愛い声で啼くのかと病みたる猫はいじらしくてならぬ

今年また狐のカミソリ咲きにけりそばに二匹の猫の墓あり

ゴルフには興味なけれどテレビ見ていればきこへるうぐいすの声

我伏せばいづこともなくやってきてよりそひて伏す猫は死にたり

死んでもい何時死んでもいと云いながら医者通ひするは老人ばかり

病院にわれを見舞ひに来し夫振り返りつつ帰り行くかな

いり豆腐夫に教へどつづまりは冷奴にして食べしと云ひぬ

敬老の日の献立が何となくわびしく思へ小豆飯たく

水虫をうつせし夫水虫がなほりしとみえ少しもかかず

いびきかき眠れる夫のはたにいて眠れぬ吾のもどかしさかな

ロベリアといふ名もやさし青き花スイスの子思い買い求めたり

友人にもらひし傘が美しくささずに時々ひろげて眺む

あまりにも不味きぬかみそ飽き飽きし全部を捨ててさっぱりとしぬ

友呼びて練功をしてあそばんかケイキにすしに何をだそうか

若き日の父をまぶしく想ふとき展覧会の絵の曲流る

父の絵をみて帰りたるうれしさにしどろもどろの電話する我

洗濯を干す間もおしみ吾は聴くナッキンコールは永久の恋人